歩行者軽視 ‐ 車社会名古屋の恐るべき優先意識

投稿者: | 2014年11月29日

名古屋で車の走行を見ていて、「これはまずいなあ」と思うのは、ドライバーの歩行者優先意識が低いのではないか、ということです。

交差点、横断歩道、コンビニ等から車が出るとき等、歩行者と車が関わるときに、これを顕著に感じます。

1. 歩行者軽視の場面

(1) 右折・左折での歩行者軽視

右左折の際、横断歩道を歩いてくる歩行者がいる場合、かなり近くまで歩行者が来ていても横断歩道を突っ切る車は結構います。

横断歩道を半分以上渡ってきているタイミングでも突っ切るのです。

もちろん多くの車とまでは言いませんが、ゆったりと歩行者が行くのを待つという車があまり多くない印象はあります。

実際、歩行者を待っている車がいると、歩行者の方が小走りになって渡っていく姿をよく見ますが、これは車が早く行きたがっているだろう、と歩行者の方が意識しなければいけない習慣がついているからなのではないか、と推測します。

(2) 信号が変わるタイミングで

信号無視をする名古屋走りと関係の強い場面ですが、黄色信号、ひどいときには赤信号に変わったタイミングで突っ込んできた車が、青に変わった横断歩道を渡る歩行者の前を、そこそこのスピードで走り抜ける場面も良く見ます。

もちろん、諦めて横断歩道の前で止まる車の方が多いのですが、中には無理に突っ込んでいく車もいます。

歩行者の方が青信号で油断して歩いているのに、車が目の前を通過していくということで、非常に危険な状態です。

2. 歩行者軽視・車優先意識はどこから来る。

(1) 友人との会話で感じた名古屋の車優先意識。

名古屋で運転している時、左折で歩行者が横断するのを待っていた時のことです。

歩行者は若い女性で、私の車が止まっているのを見て、横断歩道の途中から走って渡り始めました。しかも会釈をしながらです。

「待ってもらってすみません。」という感じなのでしょうか。

それで、私は同乗していた名古屋の友人に

「歩行者優先なんだから、歩いて渡ればいいのに。お礼もいらないよ。」

と言ったところ、

「え?車に待ってもらってるんだから、小走りになるのは当然じゃん。」

という反応。

「えーーー?歩行者優先だよ。車が待つのが当たり前なんだよ?」

「いや、でもその分車は黙って待ってるんだから。」

「ええええええええ?車が待つと言っても、ほんのちょっとじゃん。ちょっとぐらい待っても、走り始めて少しアクセルふかせばすぐ取り戻せるし、だいたい歩いている方の人間が体力使って車に気を遣う必要がどこにあるの?」

「いやいや、待ってもらうってことは、悪いなって思って感謝して、少しでも待たせないように走るのは当然だよ。年寄りなら別だけど。」

「走って渡ると危ない場合もなくはないし、だいたい運転する側が待つのは当たり前っていう意識はないの?」

「うーん、歩行者が来れば待つのは当たり前だけど、元気そうなやつがゆっくり歩いていると、正直急げよって思うかもなあ。」

「まじか!その感覚、全然わからん。あり得ない。何たる運転者側の傲慢だよ。」

と、車内が少し悪い空気になりました。

考えてみると、確かに、待ってもらっている側が感謝をする、というのは良いことだとは思います。

ただ、それを当たり前だろう、と思う運転者側の意識は違うんじゃないかなあ、と思ってしまいます。

急いでいる車もいるでしょうし、それには事情もあるでしょうが、それでも車なら少しアクセルを踏めば速く進みますしそれには何らの体力も使いません。

何より、車は凶器ともなりうる道具ですから、生身の人間との関係では、あくまでもおとなしく、歩行者優先意識を持って優しく運転すべきなのではないでしょうか。

しかし、その後何人かの人と話をしましたが、「歩行者優先」とは思っていても、先ほどのような場面で歩行者が感謝すること、小走りになること、それは当たり前だろう、礼儀だろう、という意見がほとんどでした。

(2) 意識改革が必要なのではないか。

この辺の意識は、もしかしたら小さい頃から身についているものなのかも知れません。

そういう文化なのかも知れませんので、心の中の問題はとやかく言えない気もします。

確かに、歩行者側の立場に自分がなった時に、待ってくれている人に感謝する、という気持ちを持つこと自体悪いことだとは言えません。

しかし、それだけではなく、運転者側にも「感謝されるのが当たり前」という気持ちがあるのかなあ、と感じてしまいます。

やはり車優先の意識。

私は、あくまでも「歩行者が絶対的に偉い」というぐらいの意識を持つことがドライバーの義務だと思っています。

この辺の話は、他の地域でしたことはあまりなく、実際、日本全国のドライバーが本当に歩行者優先意識を持っているかどうかは微妙だと思いますので、名古屋特有とは言えないのかも知れません。

しかし、上に挙げた歩行者軽視の運転が、名古屋では現実に多いのは事実。

車社会名古屋という呼び方が、「車がわがもの顔で走る車優先の名古屋」ではなく、「さすが車社会名古屋、歩行者優先が徹底していて素晴らしい」と言われるようになるべきではないか、と思います。

この辺の意識改革は必要だと個人的には思っていますが、現実は程遠いのかなあ、と思います。

3. 歩行者軽視の「名古屋走り」からの防衛運転。

歩行者軽視のドライバーのそばで運転していると、ついつられて自分もそのような運転をしてしまう可能性があります。

前の車が行ったから自分も行けるだろう、とか、歩行者が待っているのに前の車が行ったから自分も行こうとか。

つまり、ドライバーの中にある歩行者優先意識も、強固なものではなく、状況に流される程度のものである可能性はあるということです。

少なくとも自分だけは歩行者優先で運転する!というはっきりとした意思を持って運転するのが、事故を防ぐことになると思います。

前の車がどんどん歩行者を待たせて通過していっても、その流れを自分が断ち切るつもりで、歩行者優先する、それくらいの気持ちで運転したいものだと思います。

このサイトでは、名古屋走りを取り上げる都合上、名古屋ドライバーを悪く書いている感じになってしまいますが、現実には名古屋走りが横行する中でも、きちんとした運転、歩行者優先を遵守しているドライバーもたくさんいます。

悪い方が目立ちますが、良い運転をしている人の真似をしたいものだと思います。

4. 歩行者になった場合は、車は自分優先だと思っていると思っておく。

名古屋で歩いている時は、車には十分注意しなければいけません。

赤信号になっても突っ込んでくる車、右左折で歩行者の前を平気で通過する車、歩行者を遮ってコンビニから出てくる車、そういう車は残念ながら結構多いです。

特に、交差点では、歩行者用信号が青に変わっても、あたりをみずに渡り始めてはいけません。

かならず、突っ込んでくる車がいないことを確認して歩いてください。

残念ですが、それが名古屋の現実です。

歩行者軽視 ‐ 車社会名古屋の恐るべき優先意識」への4件のフィードバック

  1. ラピス

    私は運転免許を持っておらず、歩行者の立場ですが、横断歩道では信号が青になっても、走ってくる車がスピードを落とし止まるか確認します。右折してくる車なら、車を優先させます。運転手をみると大抵前しかみてないから。周りを確認してる運転手なんて、新米ドライバーくらい。

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  2. ANZ 投稿作成者

    歩行者側が十分用心しなければならない環境は間違っています。でもドライバーが悪くても事故に遭えば傷つくのは歩行者。防衛運転ならぬ防衛歩行が必要ですね。残念ですがそういう現実は確かにあります。

    返信
  3. 松井和之

    原付で埼玉から名古屋や飛騨、熊本まで行ったことがある人間ですが、名古屋走りといって特にひどいという自虐的な意識を
    持つ必要は無いと思います。東京でも埼玉でも岡山でも似たようなもの。

    むしろ名古屋から離れた郊外のほうがひどいと感じます。
    原付で横断歩道の歩行者を見つけて停止しても、平然と右側巣愚をすれすれで煽るように通過する自動車に怒りさえ覚えます。戸田市で青信号横断中に後ろからトラックに惹かれそうになったり。

    日本人の意識の無さにあきれて、ゆいいつの原付免許を50前ですが返納しましたが、自転車の無法ものっぷりに自転車まで乗りたくなくなりました。どんだけ日本人て無法者が多いのよ?ってある意味あきらめに近いかな・・・?
    (うちの姉なんで軽自動車に大人5人平然と乗せようとして、指摘されると逆切れするわ
    ルールを守って左端をふらつかずに走っている自転車に対し「邪魔!危ない!」とホーンを連打して罵声を浴びせるとか
    正直通報して免許取り上げてもらおうか(怒)と思ったくらいです。)

    返信
    1. ANZ 投稿作成者

      コメントありがとうございます。
      確かにひどい運転はどこでも見かけますね。微妙に地方ごとに似通った傾向がある気もしますが、いずれにしても危険なことに変わりはないですね。
      自転車もそうですか…。確かに歩行者に対して危ないものも、自転車側自身が自分で自分を危険にさらしているようなものも良く見ますね。
      本当は自分が歩行者になることも、自転車に乗ることも、車に運転することもあるという人は多いでしょうから、それぞれの目線で少し考えればわかるはずなのですが、現実はそうもいかないようですね…。
      私はバイクにも乗りますが、バイクに乗らない自動車の運転者から見るとバイクは鬱陶しい存在に見えるのかも知れません。一方でバイク側から見ると、バイクや自転車に対して非常に危険な運転をする自動車運転者も多いですね。
      残念ながら、やはり自分の身を守るためには、他人を信用しない、と考えるしかないのかも知れません。

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